試験あれこれ 結果報告

私の仕事についてはご存じの方が多いと思います。ご存じでない方は文章の中でご理解ください。

少林寺拳法とは関係ないのですが、ここ数日にあった嬉しい話について書いてみます。

今週、相次いで2人の卒業生(美術系大学進学を目指し浪人中だった生徒)がわざわざ美術準備室まで受験の結果を報告しに来てくれました。美術準備室というのは学校の中で一番奥にあり、しかもそこに居るのは私だけです。学校に報告に来ただけなら職員室で用は足りるわけです。

また、報告だけなら電話一本・はがき一枚で済む(卒業生には調査書発行時に報告用はがきを渡している)はずですが、わざわざ報告に来て、喜びを伝えてくれる。この事によって、こちらも嬉しい気持ちになれ、ありがとうという気持ちになる。本人は当然のこととして報告に来ているが、実はすごいことだと思います。

浪人という不安定な一年間を経て、大変な努力の結果つかんだ<合格>だけに報告を受けた私としても<本当におめでとう、これからも頑張れ!><報告ありがとう>という気持ちでいっぱいです。

実はこの話には伏線があります。私は三年生の担任で20名近いクラスの生徒がこの時期に受験しています。不合格で報告できない生徒は仕方がないとしても、10人以上の生徒が合格しているわけです。この時期、連絡のない生徒は連絡できない結果(不合格)なんだな・・・・・と思っちゃうわけで、<数日後に登校日があるからその時に言えばいいや・・・・>と考えた生徒ももちろん居るとは思いますが私に報告があったのは3名でした。

そんなわけで、登校日に<おめでとう>というべき生徒に、<ふざけるな 、担任に報告するのは当たり前だろ!ムカッ( ̄∩ ̄# などと言っていたという経緯があるので、卒業生が相次いで報告に来てくれたと言うだけで感動もんなわけです。

この両者の違いって何だろう?とつくづく考えてしまいました。

家庭環境もほぼ同じ、指導している先生も一緒、合格の喜びという点でも大差はないはず。と考えていくと、これって人としての<質>の違いなのかな?と考えてしまいました。

前者は一年間、自分を見つめていく中で自分を取り巻く状況ついて考えることが出来たのに対し、後者は自分のことを考えていくのに精一杯だったということなのかな・・・と思います。

そう考えていくと、<人の質>というのは<鍛え磨いていくことが出来るものなんだ>ということがいえそうです。

『人・人・人・すべては人の質にある。』

でも、人の質は鍛え磨いていくことが出来るものなんだから、自分自身を鍛え磨いていくこと <自己確立>が大切なんだ。・・・おっ、少林寺拳法につながった。

ともあれ、試験の結果については報告すべき人には、良い結果であっても、残念な結果であっても、出来るだけ報告をしていくべきだと思います。報告を受けて、丁寧な人だなと思うことはあっても、ふざけるなとは思いません。

まして、良い結果であれば、笑顔の挨拶が相手を幸せな気分にするのと同じように、良い報告は相手をハッピーにします

しかるべき人には結果報告を心がけましょう。

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