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「行」としての少林寺拳法

三徳を兼備した人づくりのための「行」

少林寺拳法は勝ち負けを目的とはしていません。個々が勝ち負けにこだわっていては「自分さえ強ければそれでいい」という間違った考えを持つようになり、相手の不幸を喜ぶ心も芽生えてしまいます。

少林寺拳法は「護身練胆」「精神修養」「健康増進」の三徳を修める身心一如の人格形成の修行法として宗道臣によって創始されたものです。技を通して、自信と勇気と行動力を身につけ、慈悲心と正義感を持った、本当に強い人間を育てる「行」なのです。

武としての少林寺拳法

「武」という字には「戈」を「止める」という2字から構成される会意文字です。つまり武は、決して闘争を求めたり、敵を傷つけることではなく、人と人との争いを止め、平和と文化に貢献する道徳的内容を持つところに武の意義があります。

技術を修行することを通じて、肉体と精神ともに健全な自己をつくり、世の中の不正や悪に立ち向かえる勇気と行動力を持った人間をつくる「人づくり」の大道が武道の本質なのです。

「己れを修め、己れに克ち、人を生かして己れも生きる」という、自分のためにも人のためにも、そして世の中のためにもなる道が武道の在り方であり、これを少林寺拳法は目指しているのです。

少林寺拳法の「行」の意義

宗道臣は、「行」という字を、人(強い人)が子供か老人(弱い立場の人)を背負ってお互いに向かい合っている姿であると言いました。少林寺拳法は、強い人が弱い人を助けながら、お互いが幸せに暮らせる社会をつくることを目標にしているのです。

人は決してひとりでは生きていけません。たくさんの人と関係しながら生きています。自分を大切にするのと同じように、自分の周りの人たちも大切にしなければなりません。つまり、少林寺拳法の修行は、肉体も精神も健全でたよりになる自己をつくり(「自己確立」)、自分と同じように他人の幸せも考えて行動する(「自他共楽」)ことを目指す、人づくりのための「行」なのです。

少林寺拳法には「半ばは自己の幸せを半ばは他人の幸せを」という「自他共楽」を表す言葉があります。社会の平和と福祉に貢献できる人になることを目指しているのです。

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